久々の登城。清洲城は2度目の訪問となります。
清洲城は清洲織田氏の本拠地でした。(もう一方は岩倉織田氏)
現在の清洲城は当時の構造や位置がはっきりわからないため、
模擬天守として造られたものです。
当時の天守は今の清洲古城跡公園にあったようです。
信長公も清洲城の城主でしたが、その当時は天守はなく、
信雄の時に天守を含め大規模な城になったようです。
現在行われている発掘調査で何か発見がないか楽しみです。




久々の登城。清洲城は2度目の訪問となります。
清洲城は清洲織田氏の本拠地でした。(もう一方は岩倉織田氏)
現在の清洲城は当時の構造や位置がはっきりわからないため、
模擬天守として造られたものです。
当時の天守は今の清洲古城跡公園にあったようです。
信長公も清洲城の城主でしたが、その当時は天守はなく、
信雄の時に天守を含め大規模な城になったようです。
現在行われている発掘調査で何か発見がないか楽しみです。




井田城から自転車で5分で現地付近に到着。
現在の三郷小学校の校庭が城址のようです。
碑は小学校の西側に説明板とともに立っています。
13世紀ごろ作られたらしいが、遺構はわかりません。
当時は土塁、堀を巡らせていたようです。


午後、暇な時間があったので、近所を自転車でぶらタモリ。
市内に8箇所あるとされる城址のうち2箇所を探索することに・・・
自転車で走ること15分、Webで得た住所の情報をもとに付近
をウロウロ。不審者と思われる前に城址を発見。
八反田公園内に碑があります。
公園として整備されていますので、土塁や堀などの遺構は
よくわかりません。室町時代以降の土豪の居館であったらしい。



本日最後のお城です。
沓掛城址公園の無料Pに車をとめるとすぐ、空堀が見えます。
土塁や曲輪もよく整備されています。桶狭間の合戦で今川義元が
軍議を開いた城。
その後、織田方の城主が関が原の戦いで西軍についたため、後に
廃城となる。この時期の夕方に訪れるには、さびしい気持ちとなる
城跡です。




ここは記念碑と説明板しかありません。
公園付近は道路も狭く、駐車スペースもありません。
2~3分でささっと見学しましょう。
江戸期には御殿が増築され、将軍家の休憩所となっていたらしいが
地震で倒壊。




もともとは安城城と呼ばれていたらしい。別名 森城
大乗寺を目印に現地に向かうといいと思います。
切岸等の遺構が残ります。
今川と織田が争った城で、織田信広と家康本人との人質交換の場所
と伝えられる。
時間があれば、付近の歴史博物館の見学もできます。




西尾城がなかなか立派であったので、ここが曲輪?ここが土塁?
という程度です。桜井公園の駐車場らしき空き地に駐車して、
あたりを見回し、ほどなく退散しました。




昼を簡単にすませ、西尾城に到着。
無料Pに車を止めると、まずは鍮石門(ちゅうじゃくもん)が迎えてくれます。
椿苑、御剱(みつるぎ)八幡宮を見て、回ったあとこれまた復元された、
丑寅櫓の内部を見学。
土塁や堀など遺構が豊富です。西尾市の力の入れようが伝わってきます。




ここは、刈谷球場の隣の亀城公園内である。車を無料Pに止め、
城内を探索。
大きな水掘をながめつつ、城跡を散策。十朋亭などはあるが、城跡碑がない・・・
相方にも付き合ってもらい探したがない?あきらめて帰ろうとしたところ、
ちょうど堀に面した交差点付近にそれらしき場所が・・・あった!!
隣には豊田佐吉の胸像もある。
ちなみに、家康の生母、於大の方は刈谷城主 水野忠政の娘とのこと。




鳴海城を後にして次は大高城へ・・・
城跡のまわりは道も狭く、ほとんど駐車スペースはありません。
保育園付近に車を止めて、徒歩で大高城跡へ。
アパートを通り過ぎ、更に進むと広々とした公園に入っていきます。
左手の神社を通り過ぎたところに城跡碑が立っています。
広々とした曲輪と土塁が城跡を忍ばせます。
今川家臣時代の家康が兵糧を搬入した地として知られるらしい。



