午前中に会社の花見に参加。その後の登城です。
豊田市にある市場城址は駐車場もあり、城跡もよく整備されています。
遺構に沿って1周15分ほどの遊歩道もあり、気軽に散策できます。
当城は三河国の国人である鈴木氏の居城で、4代当主鈴木重愛は
徳川家康に従い、合戦で活躍したらしい。
しかし、家康の関東転封に従わず、改易、当城も破却と伝えられる。
現在、城跡は曲輪、土塁、石垣、堀切、畝堀等の遺構を見ることができ、
整備も行き届き、安心してゆっくりと見学が楽しめる。







午前中に会社の花見に参加。その後の登城です。
豊田市にある市場城址は駐車場もあり、城跡もよく整備されています。
遺構に沿って1周15分ほどの遊歩道もあり、気軽に散策できます。
当城は三河国の国人である鈴木氏の居城で、4代当主鈴木重愛は
徳川家康に従い、合戦で活躍したらしい。
しかし、家康の関東転封に従わず、改易、当城も破却と伝えられる。
現在、城跡は曲輪、土塁、石垣、堀切、畝堀等の遺構を見ることができ、
整備も行き届き、安心してゆっくりと見学が楽しめる。







桶狭間古戦場公園を堪能した後、帰宅するか迷った末、鷲津砦跡に
向かう。
ここもまた住宅街の中で道が狭く、路上駐車もできません。
鷲津砦公園を発見した後、駐車スペースを探し、かなり離れた場所になんとか
駐車・・・
徒歩で、鷲津砦公園(砦跡)まで移動、見学。
鷲津砦の説明板と記念碑を見ることができます。曲輪等の遺構を確認すること
もできます。あっという間に夕方になってしまったため、丸根砦は次回にとっておきます。
当砦は今川方の鳴海城と大高城を遮断するために丸根砦とともに織田信長により
築かれた。
鷲津砦と丸根砦が落城したことにより、今川軍の油断を誘い、織田軍の桶狭間の勝利
に結び付いたと言われています。



鳴海城を囲む三砦のひとつ。
この中嶋砦跡もたどり着くのに苦労しました。
扇川沿いの公園付近に車をとめ、歩いて探訪。(砦跡からはやや離れている)
歩くこと7分ほど、平岩クリニックさんの脇道を抜けて橋を渡り、左折して数十m
で現地です。
道から石碑が見え、門に「所有者のご好意により、自由に見学できます。」
との案内板が見えます。
桶狭間の戦いの当日、善照寺砦から出発した織田軍はそのまま桶狭間に進軍
したらしいが、信長は中嶋砦まで進軍していたとする資料もある。
中嶋砦を見学後は、桶狭間古戦場公園に行き、もう少し織田と今川の動きを勉強
します。同公園では、桶狭間の戦いに関連する城、砦などがジオラマ風に配置
してあり、位置関係が非常に分かりやすくなっています。








丹下砦から善照寺砦跡へ移動します。
ここも住宅街となっていますので、邪魔にならない場所に車を止め、
見学します。
当砦も鳴海城(今川方)を包囲する形で、丹下砦、中嶋砦とともに築かれた。
桶狭間の戦い当日、午前4時ごろ清洲城を出発した信長は、熱田神宮で戦勝
祈願を行ったのち、善照寺砦に入城。2000人~3000人の軍勢を整えた。
現在、砦跡は砦公園として整備され、公園からの眺めから砦だったのか~と
想像できないこともない。




今日は、桶狭間の戦いに関連する織田方の砦の探訪です。
雪がちらつく中、まずは丹下砦跡を目指します。
丹下砦は、今川義元との戦いの際に織田信長が鳴海城(今川方)を囲むように
築いた三砦の一つです。
現在は光明寺(名古屋市緑区)の裏山が城跡にあたるらしいが、城址碑も存在
しない。
車を駐車する場所も限られるため、周辺を少し巡りました。



大野城からすぐの所に大草城があります。
駐車場から城跡(公園)を見学。
土塁、曲輪、水堀、模擬天守を見ることができます。
大草城は織田長益(有楽斎)により、水利の悪い大野城に
代わる居城として築かれたとされています。
模擬天守はあってもなくてもどちらでもいいかな?




昨日に続いての登城となりました。
今日は愛知県の知多方面に出かけます。
1城目は大野城。
城山公園を目指し、住宅街を迷走しているとたまたま公園駐車場を
見つけました。(4~5台ぐらいの広さでしょうか・・・)
この城は佐治氏の居城で、四代一成は大河ドラマでも取り上げられた
江姫の最初の夫です。





ぶらっとお城巡り。19時からお祭りの打ち合わせがあるので、
愛知県内のお城へ・・・
愛西市の古木江城跡へ向かう。
当城は、織田信興(信長の弟)により、長島一向一揆に対する
抑えの城として築かれたとされる。
しかし、長島一向一揆の攻撃を受け落城してしまう。
現在、城跡は農地となっており、遺構の確認はできない。
川沿いの細い道を入り、神社付近に車を止め記録写真を撮る。
なかなかわかりにくいところにあります。




本日最後の登城となりました。
長久城(ながくてじょう)と読みます。
加藤景常の居城で、小牧・長久手の戦いでは岩崎城にて豊臣方の
池田恒興と戦って討死を遂げた。
しかし、この戦いで足止めされた豊臣方は、背後から徳川勢から急襲
を受け、池田恒興父子、森長可が討死した。
現在城跡は観音堂となっており、石碑が建っている。




本日2城目。岩作城(やざこじょう)と読みます。
この城が小牧・長久手の戦いに関係しているかは知りませんが、
当城主の今井氏が徳川勢として豊臣勢の池田恒興と戦っているらしい。
現在、城跡は長久手市役所となっており、遺構としては堀跡があるらしい?
(よくわかりませんでした・・・)




